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歴史
勝ち組が消した開国の真実
  • 定価:1,890円(税込)
  • 判型:46
  • 体裁:
  • 頁数:392頁
  • ISBN:978-4-7612-6189-4
  • 発行日:2004年6月28日
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新撰組の誠と会津武士道の光跡

勝ち組が消した開国の真実

­鈴木荘一 /著
内容紹介:

 銀行員として実務に携わっていた私は、失われた十年といわれる現在の混迷は、
「いま我が国が明治維新に次ぐ大変革期にあるため」
 と痛感した。
 先が見えない変革期の中で、我が国はどういう選択をすべきか? いま何をなすべきか? 明日への指針を探るため、明治維新という歴史を振り返ろうとした私は、大きな壁にぶつかった。
 我が国の歴史教育では、
「無為無策で統治能力を失った徳川幕府に代わって薩長等の若い志士が立ち上がり、明治維新を成し遂げ、輝かしい近代国家を建設した」
 と教え、ほとんどの日本人がこれを信じている。
 しかし真実はそうではない。
 東アジアがイギリスの、メキシコがアメリカの軍事力に屈伏するなか、幕府老中阿部正弘が日米和親条約を、大老井伊直弼が日米通商条約を締結して開国すると、国内では攘夷運動という激しい反対運動が沸き起こった。とくに日米通商条約は朝廷から勅許を得ない違勅調印だったから、「朝廷を蔑ろにした」と攘夷運動の火に油を注ぎ、国際条約に必須の批准が成立しない状態となった。
 諸外国は条約の完全履行を迫り、国内攘夷勢力は朝廷を巻き込んで条約の実効を妨害した。
 板挟みのなかで苦悩した幕府は、朝廷に膝を屈し、治安維持に務め、諸外国との協調を維持した。
 そして隠忍自重の末、徳川慶喜が朝廷から条約勅許を獲得して条約の批准を勝ち取るとともに、兵庫開港を果して条約を完全履行し諸外国との対外公約を実現した。
 さらに幕府は財政の総力を挙げて海軍建設に取り組み、咸臨丸の太平洋横断航海を行って日米航路開設への先鞭を付け、勘定奉行小栗上野介が横須賀造船所を建設した。海洋国家日本の将来の発展のため造船所がいかに重要かを理解していた小栗上野介は、
「たとえ幕府が滅んでも横須賀造船所は永久に残る」
 との趣意を語っている。
 また徳川慶喜は国民から敬愛されたフランス型近代陸軍を創設した。慶喜が創ったフランス型陸軍は、後に「統帥権独立」を唱えて我が国を亡国の淵に導いた昭和のドイツ型日本陸軍とは全く異質な民主的陸軍だった。もし日本陸軍が慶喜の選んだフランス型のままだったら、我が国は昭和前期において無謀な対英米戦争に突入することはなかっただろう。
 最後に徳川慶喜は、イギリス型議会政治への転換を想定して、大政奉還に踏み切った。
 現代日本の議会制度がイギリス型であるのはいうまでもない。
 徳川幕府は、日本近代化のためあらゆる準備を行い、布石を打った後、政権から去った。
 こうした責任感と無欲の清々たる為政の心こそ、今日、求められているのではなかろうか。
 一閃の光芒を放って散った新撰組の警察活動が無かったら、幕府は条約勅許を得て条約の批准を成立させたり、兵庫開港により国際公約を果したりすることは出来なかっただろう。そして「横柄な英米との一戦も辞さず」と血気にはやる急進的攘夷勢力の暴発による対欧米大攘夷戦争が数十年早まり、我が国は完敗して、自らの力で近代を築くことが出来なかっただろう。
 一八六〇年代という厳しい国際情勢のなかで我が国が欧米列強の植民地にならず独立を保ち得たのは、京都守護職と新撰組が強硬な攘夷急進派を押え込んで幕府の対外協調方針を支え、無謀な対欧米戦争を回避したからである。
 執拗な倒幕勢力の跳梁により幕府が倒れたからといって幕府を無為無策というのは的外れだろう。
 私がこう考えるようになったのは、かなり以前からである。
 私事にわたるが……、東京で生まれ育った私は、小学校卒業と同時に父の仕事の都合で会津若松へ転居し、二年後に再び東京へ戻った。だから会津若松での生活はたかだか二年間だ。
 この中学校生活は友達も出来ない孤独で寂しいものだった。そんなある日、級友の一人が、
「ほら見ろ。あれが小田山だ。あそこからお城に大砲を撃ち込まれたんだ」
 と悔しそうに語った。指さす方角を見ると靄のなかにそれらしい稜線が見えた。
 その頃から、私の中にある歴史観が生まれた。
 要するに、戊辰戦争に勝った薩長新政府が自分達に都合のよい幕末維新史を書いて学校で教え、私達はそれに洗脳されているだけではないのか? このように、
「戦争に勝った者が正しく、負けた者が悪い」
 と勝者が敗者を裁くような歴史観では、真実は見えて来ない。悲惨な戦争に立ち至った歴史的経緯も因果関係も解明されず、歴史は単に「戦勝者の創り話」にすぎないということになる。
 もしそうであるなら、歴史は変革期において明日への指針を示す本来の役割を果たすことは出来ない。歴史が本来の役割を果たすには、敗戦側の立場も相応に斟酌した冷静・公平なものでなければならない。
 そこで実務家として明日への指針を探るため歴史を紐解こうとした私は、歴史の見直し作業に、できるだけ冷静な眼で挑戦しようとしたのである。
 読者の方々が、現代そして明日の日本についてお考えになるさいに参考になれば、幸いである。

目次詳細:

第一章 日米和親条約
老中阿部正弘は親露反米論を抑えて開国を決断

アメリカの西進/ペリー提督と米墨戦争/孤独なアメリカ/ペリー船隊の来日/国内の反応/ペリー艦隊の再来と英仏露の動き/ロシアの対日外交/徳川幕府とペリー艦隊の神経戦/日米和親条約締結/長崎海軍伝習所/幕府海軍の創設

第二章 日米通商条約
井伊直弼は朝廷から勅許を得られぬまま条約調印

徳川幕府の開国方針/アメリカ総領事ハリスとの通商交渉/雄藩連合と処士横議/朝廷の攘夷論/井伊大老の登場/そもそも鎖国とは何だったのか/南蛮貿易とキリスト教/オランダの対日貿易/アメリカの焦燥/通商条約再諮問/井伊大老の違勅調印

第三章 公武合体の思想
幕府は親米外交を展開。イギリスも対日微笑外交

第十四代将軍家茂/皇女和宮の降嫁/遣米使節団/咸臨丸の太平洋横断/木村摂津守と福沢諭吉/長州藩の公武合体論/対馬事件/アメリカの退潮/イギリスの総領事オールコック/ロンドン覚書/薩摩藩の公武合体論

第四章 京都守護職
松平容保と新撰組が京都の治安維持にあたる

異人斬り/天誅の猛威/京都守護職の人選/松平容保、京都守護職に就任/京都の治安崩壊/言路洞開/将軍家茂の上洛/攘夷開始期日/長州藩の攘夷断行とオランダの対日姿勢転換/八・一八政変/新撰組登場/新撰組の池田屋斬り込み/蛤御門の変

第五章 条約勅許
徳川慶喜が孝明天皇から勅許を獲得し条約の批准が成立

違勅調印の矛盾/開国延期策/生麦事件/薩英戦争前夜/南北戦争の戦況/幕府は対英戦争を回避/薩英戦争/薩摩藩の密貿易/下関戦争/賠償金三百万ドル/第一次長州征伐/功山寺決起/イギリス公使パークスの来日/条約勅許

第六章 兵庫開港
慶喜は兵庫開港を実現し国際公約を果たす

長州藩の武器密輸入/四国共同覚書/武器商人グラバーの暗躍/グラバーの三角貿易/坂本竜馬/薩長同盟/イギリスの対日政策/アーネスト・サトウの「英国策論」/第二次長州征伐/芸州口の戦闘/九州小倉口の戦闘/石州口の戦闘/将軍家茂の死/一橋慶喜、徳川宗家を相続/フランスの対日外交/フランス型幕府陸軍の創設/兵庫開港

第七章 大政奉還の思想
慶喜はイギリス型議会制度を想定して政権返上

徳川慶喜の大政奉還論/幕府内部の政権返上論/西周のオランダ留学/倒幕の密勅/小御所会議/徳川慶喜の下坂/薩摩御用盗/滝川具挙、討薩表を持参/滝川具挙隊の苦戦/幕府軍敗北決定

第八章 奥羽戊辰戦争

朝敵処分/奥羽鎮撫使参謀世良修蔵/奥羽の止戦工作/奥羽列藩同盟/会津藩激発/白河城攻防戦/二本松落城/母成峠陥つ/白虎隊の死闘/苦悩の城下/会津落城/草むす屍

鈴木荘一 (著)

昭和23年東京に生まれ、小学校卒業まで東京で過ごす。小学校卒業と同時に会津若松に転居、ザベリオ学園中等部に2年間在学。この間に歴史観の原点が育まれる。その後、再び東京に戻る。 昭和46年東京大学経済学部を卒業。日本興業銀行入行。審査、産業調査、融資、資金業務などに携わる。とくに企業審査、経済・産業調査に詳しく、的確な分析力には定評がある。平成13年より日本レストランシステム(株)勤務。 「現在は過去の歴史の延長線上にある」との立場から、現代政治経済と歴史の融合的な研究を進めている在野の歴史研究者でもある。 著書、論文として「80年代の基礎産業」(筑摩書房)共著、「子供にはこんな教育を望みます」(かんき出版)共著、「韓国機械工業の現状と展望」(興銀調査レポート)などがある。