2007年11月17日
2000年2月に入社して以来、2年間の留学期間を挟んで賞味5年10ヶ月、お世話になったグロービス。11月15日、ついに退職の日を迎えた。
恵まれた日々だった。チャンスを与えてくれる上司や先輩方に恵まれ、励まし指導してくれる同僚達に恵まれ、そして真に尊敬できる投資先ベンチャーの経営者達とのご縁に恵まれた。経営大学院の講師を始めてからは、素晴らしい受講生の方々に恵まれた。
もし人生が2-3回あるならば、キャピタリストとしての道を追求しただろう。しかし、おそらく一回しかない人生。悔いを残して死にたくはない。
社会的に極めて重要と思われるSocial Enterprise(NPOとMission-drivenな営利企業を含む)を立ち上げ、急激な拡大路線に乗せる、プロフェッショナルになりたい。そんな思いが自分の中で膨れ上がり、もはや抑えることができない。
私は「愚公 山を移す」という列子の中の言葉が昔から好きなのだが、今まさに「山」を移す時が来たと信じている。
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このブログを通じて、多くの皆さんと出会い、また励ましの言葉をいただきました。心から御礼を申し上げます。皆さんのお陰で、今の私が在ります。
また、オープンな場でブログを公開することを薦め、また自社のサーバを使うことを勧めてくれた、かんき出版の相澤くんには、本当に感謝しています。相澤くん、ありがとう。
退職を契機に、このブログ「創造的破壊ノート」は閉鎖させていただきます。今後は、以下のサイトに時折、思うことを綴っていきたいと思っています。(http://blog.livedoor.jp/reijiyamanaka/?blog_id=2596253)もちろん、GreeやMixiのブログには、これまで通り外部ブログのコンテンツが反映されます。引き続き、お付き合いいただければ幸いです。
山中礼二
2007年11月11日
ラグビーファンにとっては、何よりも悲しい出来事である。
関東学院大学のラグビー部員が、大麻取締法違反で逮捕された。それに伴い、同大学ラグビー部は今後一年間の大会出場を自粛せざるを得なくなった。
http://www.asahi.com/national/update/1109/TKY200711090487.html
「関東学院大ラグビー部、一転して試合辞退へ 大麻事件で」
当初春口監督は、試合には通常通り出場する意向を示していた。しかし、「関東ラグビー協会から、再検討を促されていた。当初の判断に抗議する電話やメールが関東協会に約30件、同大にも処分が甘すぎるとする電話が多数あったという。 」(朝日新聞より)連帯責任ということなのだろうが、そこまでする必要があるだろうか?
今シーズンの大学選手権優勝を目指しがんばってきた、他の部員達の気持ちを考えれば、不出場はあまりにも悲しい。もう大会出場のチャンスがない、大学4年生もいるだろうに。
しかも、大麻を所持していた二人の若者は、まだまだ更正・成長の機会がある人達である。多くの仲間達の夢を奪ってしまうという「罰」は、あまりに重過ぎないだろうか。これからの長い人生、あまりに重い十字架を背負わせてはいないだろうか。
春口監督を批判するのも、筋違いだと思う。光文社新書から発刊されている、清宮克幸氏(現サントリー監督)と春口監督との対談(「指導力」)を読めばわかるのだが、春口氏は勝利を目指す「監督」である以上に、学生の成長を心から願う教育者である。すぐに出場辞退という結論を出せなかったのは、当然だろう。
関東学院にプレッシャーをかけた「世間の声」とは、いったい何だろう。私はしばしば「世間」の感覚からズレている人間なので、「世間」が怖く感じられる。
やまなか
2007年10月14日
長女(6歳)と次女(4歳)が、両者号泣に至る大喧嘩をした。私の目の前で、夕食中の出来事だ。
そのとき、家族で、「ミカン食べ比べコンテスト」をやっていた。たくさん買ってきたミカンの中から、各自が一個を選ぶ。それを一房ずつ食べ比べ、誰のミカンが一番甘いのかを決定するのだ。
優勝者は、次女(4歳)だった。次女は大喜び。
ところが、次女が長女とミカンを一房ずつ交換する際に紛争が勃発した。長女が一房を次女に与えたにも関わらず、次女は自分のミカンを必死で半分に千切り、半分のみを長女に与えたのだ。
長女は「ずるい!」と絶叫し、残り半房のミカンを奪おうと、次女ともみ合いになった。しかし相手に隙を与えず、鬼の形相で残りの半房を口に放り込んだ次女。長女は号泣した。それを見て、「だって、もっと食べたかったんだもん!!」と言って次女も泣きわめき始めた。
一部始終を見ていた私と妻は、不覚にも腹を抱えて笑ってしまった。妻に至っては、笑いが止まらず涙まで流している。
机の上には、ミカンが合計30個ほど山盛りになっている。何も、半房のミカンをめぐってそこまで争わないでもいいだろうに。次女のセコさも驚異的だが、それくらいのことを許せずに号泣する長女のナイーブさにも、驚いた。
愛媛県のミカン農家の皆さん、ありがとうございます。生協で買った「旬選味わい小粒みかん」、おいしくいただいています。まだ熟れ方は若いですが、それでも紛争の種になるほどの味です。
収穫の秋である。
山中れいじ
2007年10月07日
娘二人を連れてボーリングに行った時のこと。駐車場をようやく見つけ、ややこしくバックしながら駐車しようとしていた緊張モードの私に、娘たちがやたらと話しかける。
「ちょっと、だまってて。返事できないから。」
とたしなめたにも関わらず、上の娘(6歳)が私に聞いてきた。
「ママはさ、パパと結婚したとき、パパのこと好きだったの?」
あまりの質問に私が絶句していると、下の娘(4歳)が答えた。
「ママは、パパがいっつもお金を持ってきてくれるから、だから結婚したんだよ。」
私は危うく、隣の車にぶつけそうになった。
子供とは、なんと残酷な、なんと不可思議な生き物だろう。
山中れいじ
2007年09月16日
NHKスペシャル「コムスン ショック」を見た。コムスンを一方的に悪者と決め付けるのでもなく、行政をただ批判するのでもなく、淡々と事実を伝えた番組で、それだけに見た後の絶望感が深い。
介護ヘルパーの現場の負担感は、相当なものだ。特に、夜間に介護に回るヘルパーにとっては、重労働である。
国庫の負担も重い。介護事業者の負担も重い。介護ヘルパーの現場での負担も重い。そして何よりも、要介護者を自宅で抱える家族の負担は、誰よりも重い。全当事者がギリギリのところで苦しみに喘いでいる。
ではどうすれば良いのか。私は、全国民がこの負担を共有するしかないと思う。現在はたしか、40歳以上の人のみが介護保険料を負担しているはず。この年齢が下がるのも、いたしかたない。保険料の負担が増えるのも、仕方ない。
介護保険をどうするのか。真正面から論じている政党がないのが残念だ。
山中れいじ
2007年09月14日
久しぶりに、妻と二人で映画を見に行った。韓国映画の「私のちいさなピアニスト」(http://www.mylittlepianist.com/)である。
素晴らしい映画で、大満足した。映画館でこんなに涙を流したのは、10年前に見た「フランダースの犬」以来である。(笑)
それにしても驚いたのは、この映画の著作権を持っているのがSovik Venture Capitalという、どう読んでもベンチャーキャピタルっぽい名前の団体であること。VCがコンテンツファンドを立ち上げたのだろうか?
誰か、このVCについて詳しい方、ぜひ教えて下さい。
山中れいじ
2007年08月13日
長女が、JRのポケモン・スタンプラリーにはまっており、スタンプを押すために茨城県の牛久に行きたいと言ってきかない。勘弁してほしいという一心で、親も楽しめそうな釜の淵公園(青梅)に連れて行った。
結果、感動。電車でこんなに簡単にいける場所に、こんなに美しい川が流れていて、こんなに楽しく遊べるとは・・・。
(参考:こんな感じのとこです->http://homepage3.nifty.com/tsawada/kamaima.htm)
夏休みに行った白馬村で「東京に帰りたくない」「もっと川遊びをしたい」と言って泣いた娘達だが、東京にも川遊びできるところがあると知って、大満足だった。
山中れいじ
2007年08月06日
3歳の娘のけたたましい叫び声で、私は飛び起きた。深夜2時である。娘は号泣。「むしが・・・むしが・・・」妻があわてて電気をつけて見ると、娘の腕の上をカブトムシが匍匐前進していた。
おそるべしカブトムシ。力が強いと知ってはいたが、まさか虫かごを空けて脱走するとは、思わなかった。
このカブトムシは、長野県の白馬村に行ったときに、早朝の森林で採ったもの。妻は最近、あきらかに夫以上にカブトムシに対して愛情を注いでいる。
妻にとって、このカブトムシはリターンマッチらしい。子供のとき、育てていたカブトムシを、妻はマンションのベランダから外に放り投げた。カブトムシが羽ばたいて林に帰っていくと思ったらしいが、現実は違った。カブトムシは垂直に落下し、コンクリートに打ち付けられ、まるで火曜サスペンス劇場の落下死体のように無残な死骸をさらしたという。20年以上前の話である。
その時の罪悪感から逃れるために、妻は今日もカブトムシのえさを買い、虫かごに入れる木を買い、カブトムシにコバエがつくのを防止するシートを買い・・・果てしない先行投資を繰り返している。
私にとって、カブトムシを飼うのは初めての体験だ。子供のころ私は、クワガタを飼っていた。夏の暑い日、クワガタを水風呂に入れてあげようと思いたった少年やまなかは、水深8cmの洗面器に水を張り、クワガタをつけた。その結果、愛しのクワガタは溺死した。一時は息を吹き返したように見えたが、結局動けなくなってしまった。
そのときのことを綴った作文「よみがえったクワガタ」は、私のいた市の優秀作文に選ばれ、市の文集に収録された。このときの作文のラスト・センテンスは、「もったいなかったです。」だった。母も、担任の教師も、何とか私から「かわいそうだった」という言葉を引き出そうと必死で誘導したが、私は「もったいなかった」としか言わなかったという。表現力の問題だったのか、それとも生物に対する愛情が欠如していたのか・・・。
今飼っているカブトムシも、いつかは死ぬだろう。そのとき娘は、なんと言うだろうか。両親が必要以上に思い入れを持って育てている、このカブトムシが死んだとき、娘は少しばかりは涙を流してくれるだろうか。
山中れいじ
2007年07月01日
TVドラマ「わたしたちの教科書」が、ついに完結した。いじめを受けて自殺したと思われていた明日香だが、実は事故死だった・・・(むしろ、窓から飛び降りようとしていた親友の自殺を止めるために、窓に足をかけて説得していて、足を滑らせた)というのが、最後のどんでん返しだった。ギリギリのところで自殺を思いとどまった明日香が、死の数日前に秘密の「隠れ家」(廃墟)の壁に書いた自分へのメッセージが、このドラマの最終シーンだった。
明日香より。明日香へ。 わたし、今日死のうと思ってた。ごめんね。明日香。 わたし、今まで明日香のことがあまり好きじゃなかった。 ひとりぼっちの明日香が好きじゃなかった。 だけど、ここに来て気付いた。 わたしはひとりぼっちじゃないんだってことに。 ここには8才の時のわたしがいる。 わたしには8才のわたしがいて、13才のわたしがいて、 いつか20才になって、30才になって、 80才になるわたしがいる。 わたしがここで止まったら、 明日のわたしが悲しむ。昨日のわたしが悲しむ。 わたしが生きているのは、今日だけじゃなんだ。 昨日と今日と明日を生きているんだ。 だから明日香、死んじゃだめだ。生きなきゃだめだ。 明日香。たくさん作ろう。思い出を作ろう。 たくさん見よう。夢を見よう。明日香。 わたしたちは、思い出と夢の中に生き続ける。 長い長い時の流れの中を生き続ける。 時にすれ違いながら、時に手を取り合いながら、 長い長い時の流れの中を、わたしたちは、歩き続ける。 いつまでも。いつまでも!作者が最も伝えたかった(と思われる)メッセージが、ストレートに私の胸に飛び込んできた。単純なストーリーのドラマだったら、ここまで感動できなかったかもしれない。しかし、底なしの闇のようないじめの構図を散々見せられ、絶望する登場人物たちに感情移入しまくった後だけに、明日香のメッセージは鮮烈に私の目を覚ました感があった。
このような素晴らしいドラマを作ってくださった、脚本家の坂元裕二氏には、ただただ感謝の気持ちである。
俳優たちの演技も、素晴らしかった。特に、いじめを隠蔽しようとする副校長役の風吹ジュンの演技は圧巻だった。わずかな仕草や目の動きで、自身の心の深い闇を表現した。特に、学校を守るために、裁判の席で平気でウソをつきまくる教え子を見た時の、暗澹たる目の深さが、忘れられない。
「熊沢先生」役の佐藤二朗の、裁判所での演技は、全体を通して最も激しく胸を打たれるシーンだった。学校を守るために「イジメはありません」と証言する役割を負いながら、裁判途中で激しく動揺し、涙を流し、いじめられていた明日香の思い出を語った場面には、全視聴者のうち約89%がTVの前でもらい泣きをしたと推定される。(根拠なし)
主人公である菅野美穂の演技は、評価の分かれるところだろう。夫や前夫(認知症で、菅野美穂のことを覚えていない)の前で時折感情を高ぶらせる演技は、素晴らしかった。ただ、全体的に見て、弁護士役が似合っていたとは思えない。必要以上に弁護士らしく、攻撃的な女性を演じようとした結果、少しムリが生じていたような気がする。
いずれにしても、死ぬまで決して忘れることのできないほどの、強いインパクトを私に与えたドラマだった。
山中れいじ
2007年06月24日
世界最高齢の男性が、日本の111歳の男性となったと聞き、「111歳くらいなら、彼でも余裕で到達できる!」と思っていた。そんな元気な畏友(Charles Franklin氏)が、100才と7ヶ月の生涯を終えた。ご冥福をお祈りしたい。
フランクリン氏とは、私が2002年、ピッツバーグの老人ホームに住み込みで働いていた頃、毎晩同じテーブルで夕食を共にしていた。当時はまだ95歳で、若干耳は遠いものの、元気だった。暖かいユーモアは冴え渡り、周囲の誰からも好かれていた。
71年間連れ添った奥様を、2001年に亡くした。陽光溢れる老人ホームの庭で、奥様と二人で、手を握り見詰め合っている写真は、老人ホームの宣伝パンフレットで長年使われていた。
フランクリン氏と夕食を共にする中で、私は「幸福」について考えるようになった。フランクリン氏は、奥様を亡くされてなお、幸せに見えた。周囲の隣人たち全員から愛されていた。15人のひ孫が次々に老人ホームを訪問し、フランクリン氏の長寿を祝福していた。そして何よりも、健康だった。何しろ95歳だった当時、フランクリン氏は時折車を運転していたほどである。
2005年、私が日本で介護事業を営む経営陣と共に、ピッツバーグの老人ホームを再訪したことがあった。突然の訪問に、フランクリン氏は目を丸くして驚いていた。しかし98歳の彼が、ビリヤードをして楽しんでいる姿に、こっちの方が驚いた。
社会的地位や財産よりも、家族、健康、そして個人の人格が、老後の「幸福」度を大きく左右するのではないか。フランクリン氏との交遊の中から、私がつかんだ確信である。それ以来フランクリン氏は、私のロールモデルとなった。
またお会いできると単純に信じていただけに、訃報を聞いて残念でならなかった。昨年末、バタバタしていてクリスマスカードを送れなかったことが悔やまれる。
山中れいじ