世界最高齢の男性が、日本の111歳の男性となったと聞き、「111歳くらいなら、彼でも余裕で到達できる!」と思っていた。そんな元気な畏友(Charles Franklin氏)が、100才と7ヶ月の生涯を終えた。ご冥福をお祈りしたい。
フランクリン氏とは、私が2002年、ピッツバーグの老人ホームに住み込みで働いていた頃、毎晩同じテーブルで夕食を共にしていた。当時はまだ95歳で、若干耳は遠いものの、元気だった。暖かいユーモアは冴え渡り、周囲の誰からも好かれていた。
71年間連れ添った奥様を、2001年に亡くした。陽光溢れる老人ホームの庭で、奥様と二人で、手を握り見詰め合っている写真は、老人ホームの宣伝パンフレットで長年使われていた。
フランクリン氏と夕食を共にする中で、私は「幸福」について考えるようになった。フランクリン氏は、奥様を亡くされてなお、幸せに見えた。周囲の隣人たち全員から愛されていた。15人のひ孫が次々に老人ホームを訪問し、フランクリン氏の長寿を祝福していた。そして何よりも、健康だった。何しろ95歳だった当時、フランクリン氏は時折車を運転していたほどである。
2005年、私が日本で介護事業を営む経営陣と共に、ピッツバーグの老人ホームを再訪したことがあった。突然の訪問に、フランクリン氏は目を丸くして驚いていた。しかし98歳の彼が、ビリヤードをして楽しんでいる姿に、こっちの方が驚いた。
社会的地位や財産よりも、家族、健康、そして個人の人格が、老後の「幸福」度を大きく左右するのではないか。フランクリン氏との交遊の中から、私がつかんだ確信である。それ以来フランクリン氏は、私のロールモデルとなった。
またお会いできると単純に信じていただけに、訃報を聞いて残念でならなかった。昨年末、バタバタしていてクリスマスカードを送れなかったことが悔やまれる。
山中れいじ
数値化された明確な目標設定。誰が何の数値に責任を負うのかを明確化した「コミットメント」いずれも、極めて合理的な経営手法だ。だからカルロス・ゴーン氏が日産のV字回復を実現した時、多くの人がこれを賞賛したし、ハーバード・ビジネス・スクールでは1年次のリーダーシップに関する必修科目の中で、カルロス・ゴーン氏のケース・スタディを取り入れた。
ところが、今の日産にはゴーン改革の副作用が目立ってきているという。度を越したコスト削減。工場で働く労働者の士気の著しい低下。文芸春秋の最新号には、驚くような事実が掲載されていて、興味深い。
このエッセイの後に、ゴーン氏に対する直接インタビューが掲載されていて、これがまた興味深い。
(井上氏)「ゴーン社長は以前、『マネジメントはクラフトマンシップだ。経験を積めば積むほどうまくなる』と語っていましたが、今でもさらに経験を積むことで、成長したいと思っていますか。」
(ゴーン氏)「もちろんです。まだ発展途中です。私は引き続き生徒として精神を忘れないようにしたいと思います。私は職人であり、また生徒でもあります。マネジメントについては謙虚な姿勢で臨まなくてはなりません。自分が教師であると思ってしまうと、もうこれはリタイアです。まだ私が仕事を好きなのは、常に学習できるからです。」
完璧な経営者はいないし、副作用のない経営改革も存在しない。ゴーン氏の短期的なターンアラウンドは、高く評価されるべきだと、私は今でも思う。しかし本当のチャレンジは、これからだ。
なお、このエッセイには、日産とトヨタを比較したエピソードも紹介されており、これがまた興味深い。サプライヤーに対する、度を過ぎたコスト削減要求についてのエピソードである。
「バンテックは、日産向けでは利益が出ないので、他社向けの事業を強化しようと、トヨタの調達担当者に提案に行き、日産向けと同じ価格で見積書を出した。すると『この値段じゃ駄目だ。仕事はやれない』との返事。バンテックの担当者は、『さすがトヨタ、日産よりコストダウンが厳しいのか』と思ったが、結果は逆で、トヨタは『この値段はおかしい。こんな価格では長続きしないでしょう。サービスの質が悪くても困るので、うちは結構です』という説明だった。
工場に計算機を持ち込み、たちどころにサプライヤーの原価計算をするというトヨタの調達担当。トヨタ恐るべしである。
トップマネジメントの力が強い日産と、現場力・改善力の強いトヨタ。二社の戦いは、ますます興味深い。
以前もブログで紹介した、宮大工の西岡常一氏の直弟子である、菊池恭二氏がNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」に登場した。
プロフェッショナルとは、という問いに対する、菊池氏の回答である。
「いつも前向きに物事を考える新人だと思います。
それはいつもなんか新しい考えを追い求めている。
私は新人だよという意味がそれがプロかなと思いますね。」
シンプルだが重たい言葉。ベンチャーキャピタリストにとって必須の考え方だと思った。
山中れいじ
リーダーシップともベンチャーマネジメントとも関係ないのだが・・・。
ドラマ「私達の教科書」に完全にハマり、その余韻から一週間抜け出せない。これほど深くドラマに没入するのは、「白い巨塔」以来だろうか。
いろいろコメントを書きたいのだが、あまりに重くて書きにくい。私は小学生のころいじめを受けていたので、当然登場人物のいじめられっこには共感する。しかしそれ以上に、教え子の自殺に心傷つき、職員室でやり場のない鬱屈した思いをかかえたまま生きていく教師達に、感情移入してしまう。
学校側を守るために証言していた教師が、途中で不覚の涙をこぼし、過去を悔いたシーンは、前回のハイライトだった。元々誰も悪くないのに、誰もが「しわ寄せ」を受けて、人を傷つける側にまわる。臭い物にふたをする行動に走る。
では、「しわ寄せ」を生んでいるのは、何だろう。「社会」だろうか。でも「社会」って、人と人との関係だろう。人のせいでなくて、社会のせいだなんて、そんなことがあるのだろうか。
救いのない教育現場の暗部を描いた「私達の教科書」。今後の展開に、「救い」はあるのだろうか。
山中れいじ
今日の日経歌壇に、投稿された短歌が面白かった。
物求め支払ひ済ます度ごとにポイントカードと店員さわぐ
(?村忠彦さん)(漢字をPCで入力できません。ごめんなさい)
最近どこで買い物をしても、やたらとポイントカードを進められてわずらわしい。店舗の側は、カスタマーサービスの一環としてやっているのだろうが、膨張した私の財布の中で、ポイントカード同士の競争は厳しさを増している。たいして使わないポイントカードは、捨てられるのみである。
山中れいじ