感受性について

2006年09月26日

私は絵心の乏しい人間で、ピカソの絵の良さが理解できない。

昨日の日経新聞の夕刊「名画の饗宴」で、ピカソの「頭蓋骨のある静物」という絵が紹介されていた。作家の藤本ひとみ氏が、以下のような文章で紹介している。

「圧倒的な静けさを漂わせた『頭蓋骨のある静物』からは、人間は誰も、結局は一人で生きていかなければならないのだという諦観が伝わってくる。だが同時に、その深刻さの中には、いくぶんかのおかしさと美しさも含まれており、絶望することはないという力強いメッセージがあふれ出てくる。人生を応援してくれる絵である。」
(日経新聞 夕刊 2006年9月25日)

この絵から、これだけ深いメッセージを受け取れる人がいるということに、軽くショックを受けた。私の感受性は、パサパサに乾いているのかもしれない。

---------------------
ぱさぱさに乾いていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

(「自分の感受性くらい」茨城のりこ)

(「教科書でおぼえた名詞」より)


三浦雄一郎の「私の履歴書」

2006年09月26日

日経新聞に連載されている、三浦雄一郎氏(スキーヤー・冒険家)の「私の履歴書」を読んで、あまりに冒険的な人生に驚嘆している。

「こりゃどう考えても、生きては帰れないだろう」と思われることに、次々と挑戦している。エベレストからスキーで滑降したり、南極で遭難しかけたり、今まで生きているのが不思議なほどである。

三浦氏にとって、生きることの意味とは何なのだろう。自分の命を、まるで使い捨ての工具のように振り回し、危険にさらして、代わりに素晴らしい「人生」という芸術作品を創造している。

一度お会いして、お話を伺ってみたい。


伸びるプロフェッショナル(ある脳外科医の場合)

2006年09月16日

昨日に続いて、「伸びるプロフェッショナル」の条件について。

NHKの「プロフェッショナル/仕事の流儀」で、脳動脈瘤の手術の権威である、旭川赤十字病院(脳神経外科)の上山先生が特集されていた。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/060914/index.html

上山氏の信念は、以下のようなものだった。

「患者は、人生をかけて医者を信じる。これに立ち向かうために、医者も命をかけて患者に立ち向かわなければならない。」

最初から、このような考えを持っていたわけではない。上山氏は当初、手術の巧みな先輩が、亡くなった患者の家族に「力が及ばず、申し訳ありません」と謝るのを見て、「おかしい」「医師が悪いわけではないのに・・・」と噛み付いた。しかしそれに対して、先輩は言ったという。

「それは医者の論理だ」「患者は、医師を信じてやってくるのだ」

その言葉の意味がわかったのは、しばらく経って後のことだった。上山氏が担当したある患者。「成人していない息子が二人いる」「まだ死ぬわけにはいかない」と言っていた笑顔の患者の手術に、上山氏は失敗し、患者を死なせてしまった。

亡くなった患者の息子に土下座して詫びた上山氏に、その息子は言ったという。「父は、先生のことが好きだと言っていた。」「父が選んだ先生が救えなかったのだから、仕方がない」

上山氏の職業観を変えた、この決定的瞬間のことを語りながら、上山氏はNHKのスタジオで涙を止めることができなかった。

それから20年以上もの間、上山氏はこの時亡くなった患者のことを忘れたことがないという。

「医師も命をかけて患者に向かう」

生死の交差する現場から涙と共に産み出された、上山氏の「信念」である。

プロフェッショナルの長期的な成長を「信念」が支えるということを昨日書いたが、信念がこれほど悲しい思いの中から生まれるとは・・・想像を絶するものがあった。

山中礼二



伸びるプロフェッショナルの特性

2006年09月15日

グロービス・マネジメント・スクール講師(かつ起業家)の木田さんからご紹介いただいた本がある。アカデミックな本なので、最初は「眠いなあ・・・」と思いながら読んでいたが、本に書いてある内容のあまりの重要さに驚き、眠気も吹っ飛んだ。

「経験からの学習---プロフェッショナルへの成長プロセス」 松尾睦 著 (同文館出版)

医師も、経営者も、コンサルタントも、皆経験から学んで成長する。しかしなぜだろう。同じ期間の経験を積んでも、伸びる人と伸びない人に顕著な差が出てくる。この本は、その差がどこから来るのかを、科学的に分析した好著だと思う。

少しだけ内容を引用したい。

松尾氏によれば、「経験から学習する能力」は、以下の4点にまとめることができる。

・自分の能力に対する自信(楽観性、自尊心)
・学習機会を追い求める姿勢(好奇心)
・挑戦する姿勢(リスクテイキング)
・柔軟性(批判に対してオープン。フィードバックを活用する。)

この部分は、松尾氏オリジナルの研究結果ではなく、過去の経営学者の実証研究をまとめたものである。しかし松尾氏がすごいのは、以上の4点の「態度」に加えて、さらに長期的に学習成長にインパクトを与える「信念」の長期的効果とプロセスを明らかにしたことだ。

「信念」には、様々なものがある。例えば、「夢を忘れない」「ベストを尽くす」「人に負けない専門性を持つ」「尊敬される人格を身につける」「顧客を大切にする」「顧客とともに成長する」などである。(以上は、ITコンサルタントの典型的な「信念」である)

松尾氏によれば、信念には「目標達成志向」の信念と、「顧客志向」の信念に大別される。この二つの信念を強く、かつバランスよく持っている人材が、長期的(筆者によれば、約10年間)に大きく成長する。

私達は、学習促進的な「信念」を持っているだろうか?

山中礼二


エヴァンゲリオン(コメントありがとうございました)

2006年09月14日

コメントを下さった上田君、Greeの方にコメントをアップしてくださったWataruさん、Shigeさん、ありがとうございました。

皆さんのコメントを読んで学んだことは・・・

・映画版もみるべし
・「わからない」のは正常な反応
・面白ければいいじゃん

ということです。何はともあれ、偉大なエンターテイメント大作であることは、確かだと思います。

アニメ関連分野に投資をしているため、今後も消費者の立場で、この分野を深堀していきたいと思う、今日この頃です。

やまなか


休息について

2006年09月12日

風邪を引いていた時、久々に塩野七生の「ローマ人の物語―ユリウス・カエサル」を読み返した。

その中で、カエサルが突然2ヶ月の休みをとって、クレオパトラとエジプトを旅したという記述に、目が留まった。

---------------------
休暇は、二ヶ月にも及んだ。ポンペイウスを降してローマ世界の第一人者になったものの、ポンペイウスの残党は、エジプトとは陸続きの現チュニジアや現アルジェリアで、反カエサルの刃を磨いていたのである。その中での二ヶ月間を、ナイルの周遊をしながら、愛人とともに悠然と愉しんだであった。

当時でも、クレオパトラの魅力に溺れたがゆえと解した人もいたし、いかにもカエサルらしい、大胆このうえもない行為と解した人もいた。多分この両方であったと思う私だが、もう一つつけ加えたい気もする。

この時期のカエサルは、心身ともに休養を欲していたのであろうと思う。アレシア攻防戦からファルサルスの会戦までの五年間というもの、カエサルは、緊張をゆるめることさえ許されない歳月を送ってきた。最大のライヴァルであったポンペイウスも、もはやこの世にいない。天才だって、ストレスはたまる。新たなる活動に入る前にストレスを解消しておく必要は、誰にだってある。自己制御能力とは、緊張の張りとゆるみを自ら制御する能力でもある。

(「ローマ人の物語―ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)」 塩野七生)

私は「ゆるみ」の苦手な人間で、ストレスを溜め込む傾向がある。カエサルのような、真に生産的な人生を送るために、充実した自分ならではの「ゆるみ」方を考えたい。

やまなか


エヴァンゲリオン

2006年09月11日

風邪を引いた時に、エヴァンゲリオンのビデオを一気に見て、直りかけた風邪が一気にぶり返した話を、先日書いた。先週末は、体調も回復し、残りの16話から最終話までを全て見た。

感想は以下の通り。

・シンジに強く共感した。特に、クラスメイトが搭乗するロボットを破壊するよう命じた父親(=上司)と衝突するシーン。そして、父への怒りから「職場」を放棄したシンジが、命を賭して戦う友(綾波レイ)の姿を見て動揺するシーンには、不覚にも思いっきり感情移入した。

・難解である。自分の「存在意義」を感じられずに悩んでいたシンジが、自己肯定的な世界観をつかんで、物語は終わる。しかし、彼がそれをつかんだ世界は、どんな世界なのか。他の登場人物は全員死んでしまったのか。結局「ゼーレ」の目的は何だったのか。私の頭が悪いのかもしれないが、よく理解できないことが多かった。

日本のマンガやアニメなどのストーリーは、不可解な点を残したまま、余韻を持って終わることが多い。古くは、「あしたのジョー」の最終コマがそうだし、ドラマの「高校教師」もそうだった。しかし個人的には、白黒はっきりつけて、説明した上でストーリーを終わらせて欲しいと思うのだが、邪道なのだろうか?

このあたりは、私のアニメおたく道の師匠である、上田さんと上田君のご意見を伺いたいものである・・・。あとSWさんも・・・。

やまなか


エヴァンゲリオン

2006年09月01日

秋風に酔っていたら、風邪を引いた。微熱が続いている。

風邪が引いた時には、風邪を引いた時なりの楽しみ方がある。そう思って、ビデオ屋に行ってエヴァンゲリオンのビデオを大量に借りてきて、寝ながら見た。(アニメーション関連の投資もやっているので、さすがにエヴァを見たことがありません…ではすまされない)

結果:あまりにもハードな展開に、かえって熱が上がった。

p.s.まだ16話までしか見ていないので、結末を私に言わないで下さい。