キャプテン宮本のコア・コンピタンスとは

2006年06月30日

コンビニの18禁棚で、「Flash Exciting」という、Flashがもっと過激になった雑誌を買った。単に「あいのり」特集を見たかったのだが、この雑誌に載っていた「キャプテン宮本の仰天ツネ様伝説」が面白かった。以下、引用である。

「大阪の富田林市立伏山台小学校でのツネ様は、文武両道を地で行く優等生。たった12歳にして、先生の考えていることを「アイコンタクト」でわかる唯一の生徒だったと恩師は語った。」

「母親、祖父がともに英語教師だった宮本家だが、ツネ様の語学力もやはり抜群だった!中学時代には英語弁論大会で優勝した実力を持っているのだ。2004年に中国で開催されたアジアカップのヨルダン選(準々決勝)では、通訳を挟むことなくPKのサイド変更をレフェリーと交渉したり、トルシエ前日本代表監督のもとでは、フランス語でコミュニケーションをはかるなど、サッカーにも親譲りの語学力が役に立っているのかもしれない!」

高いSensitivityとコミュニケーション能力を武器に、日本代表でキャプテン・マークを与えられた宮本。一方で、以下のような一面も持っていたという。

「(高校時)校内のサッカー大会では、あくまで控え目にプレー。目立ちすぎず、常に協調性を重んじていた。」

今の日本代表でも、宮本は話し合いの「場作り」を大切にする、協調型のリーダーだと思う。これは素晴らしい能力ではあるが、組織に根本的な変革が必要な時には、違うリーダーシップスタイルが欲しい。摩擦を起こすことを恐れない、強烈な個性が必要になるのだろう。例えば、歴史人物で言えば高杉晋作であり、サッカーであればドイツのオリバー・カーンなどのタイプだと思う。

では、一人の人間が、状況に応じて二つのリーダーシップ・スタイルを、演じ分けることは、可能なのだろうか?私は答えを持っていないのですが、皆さんはどう思われますか?


中島みゆき

2006年06月20日

私は中島みゆきが結構好きだ。

子供を寝かしつける時に、中島みゆきの歌を結構歌っていたら、娘が歌詞を覚えてしまって、ちょっと不気味だ。

「おとこはみんなーーうそがーすーきーだねー。」(「歌姫」)と、5歳の娘が歌っているのを聞くと、将来が思いやられる。普通の子守唄に徹するべきだった。

そういえば、小学生の時に「グリーン グリーン」という歌を歌った記憶のある方は、多いと思う。

「ある日 パパと 二人で 語り合ったさ・・・」で始まる名曲である。この曲も、よく子供の寝かしつけ時に歌って聞かせていた。1-3番まである曲だ。

ところが、私が3番だと信じていたのは実は5番で、隠された(小学生用の歌集からは削除された)3-4番があることを、最近カラオケ屋で知った。なんと、「パパ」が家を出て行ってしまって、二度と帰ってこなかった・・・という悲しい歌詞だった。これを知らずに、家族カラオケでグリーングリーンを歌ったところ、娘が3-4番で凍りついていた。

「大人の世界」があることを、いつ子供は知るべきだろうか。妻は子供の頃から、火曜サスペンス劇場を見て育ったと言うが、それもどーかと思う。

山中礼二


W杯日本代表(責任の所在)

2006年06月13日

昨日の日本vs.オーストラリアの試合は、ひどかった。フォワードはゴールを外し、中盤は制圧され、ディフェンダーは醜態をさらした。ジーコ監督の采配も、ふるわなかった。

誰か「戦犯」を探しても意味のない、総合的な敗北だったと思う。日本のサッカー界全体の敗北だ。

一国のサッカーのレベルを上げるのは、サポーターの力だと思う。その意味で、今回の敗北は、サポーターの責任でもある。

特に、私のような中途半端なサポーターは罪が重い。私は4-5年前、もっと熱心にサッカーを観戦していた。当時弱かった川崎フロンターレのファンクラブに入り、応援に声を嗄らした。私がキヤノンを退職した時に、同僚がプレゼントしてくれたフロンターレのユニフォームは、今でも大切にしている。

しかし前回のW杯から今に至るまで、私は一度もサッカースタジアムに足を運んでいない。何の経済的価値も、サッカー選手に与えていない。日本代表に対しても、何の貢献もできていない。

鹿島市民は、アントラーズを産んだ。浦和市民が、最弱のレッズを最強の常勝軍団に育てた。私達一人一人のサポーターが、これから4年かけて日本代表を育てなければならない。ゼロからの再スタートである。

山中礼二



岡本太郎-「成功」とは

2006年06月04日

「人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。夢がたとえ成就しなかったとしても、精いっぱい挑戦した、それで爽やかだ。」

(「自分の中に毒を持て」岡本太郎 青春文庫)

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「成功」の定義は人によって大きく異なると思う。自分なりの夢や志を持ち、それに向かって歩んでいきたい。

今年読んだ印象的な本に、ドラマ化された「一リットルの涙」がある。あの著者は、進行する病に苦しみ、「夢を持つことさえ許されない」と言って泣いた。自分の夢を持てることの幸せさと、夢に向かって歩みを進めることの重要さを、考えさせられる今日この頃だ。

山中礼二


NILSに参加して(恐怖感)

2006年06月04日

New Industry Leaders Summit (NILS)に参加した。感じたのは、痛烈な危機感。自分がビジネススクールで学び、過去の投資経験で蓄積してきたことが、すごいスピードで陳腐化していくという恐怖感を感じた。

「あらゆる機会を活かして、学び続けよ」という学び---ビジネススクール時代に厳しく叩きこまれた考え方だ---これだけは、普遍的なものだと思う。

山中礼二


岡本太郎

2006年06月01日

芸術家の岡本太郎氏の言葉には、すごい力を感じる。

「18歳でパリに来て、画家としての夢を描いた。そして芸術運動の最前衛のグループにとび込んだ。そこに情熱も張りもあった。闘った。しかしやがて一方、人間の本当の生き方はタブローという枠の中で美を追求することだけではないのではないか、そういう自分自身への問いに全身にぶつからずにはいられなかった。絵描きは絵の技術だけ、腕をみがけばいいという一般的な考え方には、ぼくはどうしても納得できなかったのだ。」

(「自分の中に毒を持て」岡本太郎)

岡本太郎にとって、「生きる」とはどういうことだったのだろうか。それを端的に言い表した言葉がある。

「生きるとは、死と直面して戦うことである。そこに真の生きがいがある。」(岡本太郎)

(「リーダーシップ名言集」 鎌田勝 知的行きかた文庫)

はじめてこの言葉を知ったのは中学2年の時だったが、いまさらこの言葉の奥深さをかみ締めている。

山中れいじ