「君達はみな成功するだろう。思ってもいなかった形で。」ビジネススクールのある教授が、最後に私達生徒に送ってくれた言葉である。
誰もが「成功」したいと思っている。しかし「成功」の定義は、人によって大きく異なり、その差はますます大きくなってきている。
独立・起業した、学生時代以来の友人がいて、「人生みんな大成功」という超ポジティブなブログを公開している。彼は帰国子女でもなく、大学一年の時はさほど目立つディベーターではなかったが、大学3年の時は想像を絶する美しい英語を操っていた。その経験に基づいて、英語の上達法をコーチする、英語専門のコーチングを生業としている。
酒を飲みながら彼の話を聞いていると、自宅で働き、子供の世話をしながら、自由な時間に働ける彼の幸せが、伝わってくる。彼は間違いなく、「成功」していると思う。
TVドラマにもなった、「1リットルの涙」の原作本を読んだ。脊髄小脳変性症という不治の病に冒された少女の日記である。
発症が15歳。亡くなったのが25歳。それまでの10年間、少しずつ身体の動きを奪っていく病気と闘い、リハビリを続け、足が動かなくなれば床を這って進み、言いたいことを話す自由も失いながら、それでも文字をノートに刻み続けた少女の手記だ。
「現実があまりに残酷で厳しすぎて 夢さえ与えてくれない」と、彼女は20歳の時に書いた。苦しいばかりの人生が、何のためのものなのか、悩みは深かっただろう。
できれば命あるうちに、彼女に教えてあげたかった。苦しみに耐えて生き続けた彼女の姿が、本やドラマを通じて、どれほど多くの人達を救ったか。「夢を見る自由」さえ放棄しがちな若者達を、いかに強烈に揺さぶってきたか。そして彼女の人生が、如何に価値のある素晴らしいものであったか、彼女に知ってもらいたいと、痛切に感じた。
岡崎朋美の笑顔を見ていて、また元気が沸いてきました。ブログ再開します。
考えてみれば、私はこれまで、多くのスポーツ選手に「元気」をもらって、生きてきたように思います。
広島カープの津田、サッカーの中村俊輔、そしてJ2から這い上がった、地元川崎フロンターレの選手達。
さらに考えてみれば、スポーツ選手だけではありません。多くの経営者にも、書籍や講演を通じて「元気」をもらってきました。そもそも、私がベンチャーキャピタルの道に足を踏み入れたのは、アメリカのVCで研修を受けている時に見た、起業家達の生き生きとした笑顔に触れたのがきっかけです。彼らにもらった「元気の素」は、7年経った今も、私を突き動かしています。
脱線しました。何はともあれ、ブログ再開します。
トリノ五輪が始まった。私が一番注目している日本人選手は、スピードスケート500mの清水宏保選手だ。
清水選手がいかに激しく、自分の限界に挑戦しているかは、「神の肉体 清水宏保」というノンフィクションに詳しく書かれている。例えば、以下のような感じだ。
川村の「ゴー」という掛け声で、清水と武田は全力でローラーをこぎ始めた。相当負荷が高いのだろう。二人とも最初から苦しそうである。一分を過ぎたあたりから、清水から苦しそうなうめき声が漏れ始めた。太腿の筋肉が細かに震えている。痙攣しているのだ。顔が夜叉のように変わった。目は白目を剥き始めている。一体何が起こっているのか、その時まだ理解できなかったが、見ている私にも震えが来た。川村の「ストップ」という掛け声で、二人はローラーを下りた。だが、下半身全体の筋肉が痙攣しているためすぐには下りられない。顔をハンドルにうずめながら足を地につけたと思った途端、地面をのたうち回る。のたうち回りながら嘔吐しようとするが、吐くものがない。
(「神の肉体 清水宏保」」(吉井妙子 新潮社)
子供の頃から、喘息に苦しんだという清水選手。既に世界最高峰に立ち、今では人間の肉体の極限に挑むことだけに関心を持っている清水選手。最近はタイムが伸びていないが、彼が五輪の場でどのようなパフォーマンスを見せるのか、楽しみだ。
正直に白状すると、私は東横インの西田社長を尊敬している。いや、「尊敬していた」。いや、正直に言えば、今でもやっぱり尊敬している面が多い。
西田社長の著書、「東横インの経営術」によれば、西田氏は32歳の頃から、「内観」道場に通っている。「内観」とは、自己探求の手法であり、また西田氏によれば「精神修養法」の一つでもある。
「内観」のやり方はシンプルである。これまで生きてきたなかで、
・(他者に)してもらったこと
・してお返ししたこと
・迷惑をかけたこと
の3項目について、父母をはじめ様々な人達との関係を思い起こし、自分の過去について振り返る。これを通じて、自分が他者にお世話になり、他者に「生かされて」今に至っているという事実に気づく、という。
西田氏が記者会見の場で涙を流し、「これまで、自分が上等な人間だと思っていたことが恥ずかしい」と語ったのは、一種異様な光景だった。しかし、自己反省力を鍛えた西田氏からこそ、自分がいかに大きな社会的罪を犯したか、短期間で気づいたのではないだろうか。
世の中には、「自分は上等な人間だ」と思っている人達がたくさんいる。実際には上等も下等もなく、誰もが多くの長所と多くの欠点を抱えている。自分の欠点に気づき、自分が日々犯している罪に気づく力。この力があれば、人間は無限に成長し続けられると思う。
私は免許を取って8年後、車を買うことを決意した。しかしペーパードライバー化していた私は、運転に自信を持てず、「ペーパードライバー教習」なるものを受けた。
今でも忘れない、田園調布近くの五叉路である。(私はそもそも、「ごさろ」なんていうものがこの世に存在することしか知らなかった)五叉路に進入し、向かい側の道に入ろうとした瞬間、私の隣で教官が稲妻の如く炸裂した。
「ちょっと、あんた!!!」
50代の女性教官は声を震わせながら言った。
「進入禁止のマークが見えないの!!!」教官はハンドルを握る私の手を殴りつけるように引き剥がし、自らハンドルをつかんで右に回した。私はショックのあまり、呆然としていた。
今でも私は、あの五叉路に近づくたびに、鳥肌が立つのを感じる。オバサンを激怒させることほど、この世に恐ろしいことはない。
ちなみに私は、自分で運転するようになってから2回も、進入禁止を誤って逆進入し、対向車に激しくクラクションを鳴らされた。オバサンの激怒も恐ろしいが、一方通行の道で対向車と「こんにちは」してしまうことも、また地獄である。
自慢するわけではないが、私は自動車教習所で、10回もダブった人間である。何に苦労したかと言えば、右折、左折時の半クラッチだ。あれは私のような不器用な人間には、難しかった。
ある冬の午後、教官を助手席に乗せて走っていた私は、大きな交差点で右折を試みていた。対向車が消えた。アクセルを踏んだ。そして私の車は、交差点のど真ん中で、ガタガタと異常な音を立ててエンストした。あれは、日本の交通史上に残る決定的ななエンストだと思う。自慢するわけではないが。
急停車した後ろの車に、私の教官は恐縮して頭を下げまくっていた。しかし私はうろたえず、驚くべき素早さでエンジンを再起動した。なんせ、私にとってエンストは日常茶飯事なのだ。
そんな私のことを、教習所の仲間達は、エンストの帝王と呼んだ。
座右の銘、と言っても過言ではない言葉が、私にはいくつかある。そのうちの一つは、司馬遼太郎の「菜の花の沖」で、高田嘉兵衛の言葉として出てきた。
高田嘉兵衛:淡路島の出身であり、1代で北前船の船主までのぼりつめ、択捉航路を発見。昆布の安定供給に多大なる貢献をした。ロシア船に捕獲され捕虜として収容されたが、嘉平は船内でロシア語を学び、ロシア人と心を通わせるようになり、日・ロの外交紛争(ロシア人ゴローニンの捕獲事件)解決に尽力する。彼の人格は、多くのロシア人を感動させ、その中の一人は後に、日本にあこがれ、日本に移住してロシア聖堂を立てた。
司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」で、その高田屋嘉兵衛が部下達に語ることば。
「わしらの学問も武士の学問とはちがうのだ。海をゆき陸(おか)を歩き、物という物を、並はずれた熱心さで見、身をかがめて人の話をきき、夜は夜でたえず思案していることでできあがる学問だ」
「わしらは武士とはちがい、かたときも油断があるべきでない。加太の陸にあがれば、その土地の漁の仕方や漁師の稼ぎ方をきく。または干鰯なら干鰯の売り値がいくらでどこへ売るかをきく」
ビジネスに命を賭けた人物の信条である。小説上の話だが、登場人物にこういう台詞を吐かせられる司馬遼太郎は、やはり偉大な作家だと思う。
今日の日経新聞「ニッポンの企業家」より抜粋。
「本多宗一郎はある現象に出合うと、その背後にある全体像・本質を瞬時に察知する完成を備えていた。これは、ミクロの複雑な事象の背後にある本質・真実を直感的に見抜く状況認知能力を意味する。」(中略)
「あるとき、現場の責任者と一緒に車体溶接工場を見回ろうとしていた宗一郎は、工場に入りもせず入り口でいきなりその責任者を殴りつけた。相手はわけがわからなかったが、原因は工場内から聞こえていたハンマーの音だった。車体の精度が出ていないので、やむを得ずハンマーでたたいて矯正し合わせていたのである。彼に言わせれば、そんなことは溶接段階でやるべきことではなく根本的な問題解決を考えていない、と思わず手が出たのだった。」
(野中郁次郎「やさしい経済学-ニッポンの企業家」日経新聞2006年2月1日)
MBAプログラムで学ばない経営スキルの中で、最も重要なことの一つは、上記のような「問題の所在を感じ取る直観力」かもしれない。五感を常にフルに活用し、自分の現状認識を疑い続けたい。