夢と悩みを抱える全ての20代へ 仕事ってこういうことだったのか かんき出版トップページへ

現在、各界をリードする17名が、まだ20代だったころ・・ 何を考え、何につまずき、どんなふうに決断をしてきたのか。今春、大学を卒業する学生たちがインタビュー。なりたい自分になるための20代の過ごし方、仕事の極め方、生き抜くヒントを17名の人生のストーリーにのせて贈る。 本書が生まれたいきさつ【解説】松永澄夫(東京大学大学院教授・哲学)

 いろいろな大学の学生が突然現れたのは、二〇〇九年七月、夏休み中の公開ゼミのさなかでした。所属大学や専門は違うものの、全員、就職が内定している若者たち。

 訪ねてきた理由を聞いてみると――。

 「社会人として、何を大切にしていったらいいのだろう」
 「仕事にどう取り組んだらいいのだろう」
 「二十代をどう過ごしたらいいのだろう」

 という疑問や不安に対して、自分たちが尊敬する経営者や人生の先輩から教えてもらうために、これからインタビューをするという。そして、それを本にしたい。そのさい、

 「ぶれない自分軸や哲学というのは、どうやって身につけたらいいのか」

 ということも知りたいので、哲学を教えている私に解説をしてほしい――という依頼でした。(続きを読む

数々の斬新な取り組みで学校を人気ブランド校にした中心メンバーの一人。
漆紫穂子(品川女子学院校長)

「二十八歳になったとき、社会で活躍する自分をイメージする。
そこから逆算して、いまから自分は何をしたらいいか」
この「28プロジェクト」で、生徒たちの心にスイッチが入った―――。
TV番組『カンブリア宮殿』でも、個人の潜在能力を引き出す学校の校長として紹介された。

漆紫穂子さん写真
略歴
[うるし・しほこ]
一九六一年、東京都生まれ。中央大学文学部卒業後、早稲田大学国語国文学専攻科修了。
他校の国語教師を三年務め、八九年から、曾祖父が創立した品川女子学院の経営に携わる。
二〇〇六年、六代目校長に就任。総合的な学校改革により人気有名進学校となった。
著書に、『女の子が幸せになる子育て』がある
リスクマネジメントのスペシャリスト。NGOで国際支援に奔走する現代のマザーテレサ。
木山 啓子(JEN事務局長)

OL、留学、転職……。
自分に自信がもてなくて居場所を探しつづけた二十代。
ついにたどり着いた、自分らしく働けるNGOという舞台。
そんな木山さんを待ちわびる人びとが、
いまは世界中にいる―――。

木山 啓子さん写真
略歴
[きやま・けいこ]
千葉県生まれ。立教大学卒業。メーカー勤務を経てニューヨーク州立大学で修士号取得。
コンサルティング会社を経てJENの前身、日本緊急支援NGOグループの立ち上げに参加。
旧ユーゴスラビアなどで支援活動を行なう。二〇〇〇年から現職。
〇六年、ウーマン・オブ・ザ・イヤー大賞を受賞。
NHK教育テレビ『仕事学のすすめ』(二〇〇九年十月放送)に出演、多くの視聴者に感動を与えた。
スタッフ一七〇〇名、上場企業五社を含むグループ五九社を率いるベンチャー起業家。
熊谷 正寿(GMOインターネット会長兼社長・グループ代表)

高校中退、一人四役の貧乏生活……。
二十代で直面した嫌み、妬み、ひがみに満ちた自分。
苦しまぎれで手帳につけはじめた夢。
いつでも、どこでも、どんなにつらくても、
この手帳が人生を変えた―――。

熊谷 正寿さん写真
略歴
[くまがい・まさとし]
一九六三年、長野県生まれ。東証一部上場のGMOインターネットを中心とするグループ五 九社、一七〇〇名を超えるスタッフを率いる。「すべての人にインターネット」を合言葉に、 Webインフラ・EC事業、インターネットメディア事業を展開。二〇〇五年、米ニューズ ウィーク社「Super CEOs(世界の革新的な経営者一〇人)」に選ばれる。著書に、『一冊の手帳で夢は必ずかなう』など。
変わり者と言われ、バカにされても自分の「好き」を守りつづけて世界的研究者に。
古在 豊樹(千葉大学前学長)

親が受けた差別に、どうにもできなかった子ども時代、
誰ともしゃべることができなかった―――。
植物と話すのに、言葉などいらなかった。
植物を守りながら生きて、抱きかかえる格好で死ぬ、
すべてはその目標に行き着くための通り道。

古在 豊樹さん写真
略歴
[こざい・とよき]
一九四三年、東京都生まれ。千葉大学園芸学部、東京大学大学院農学系研究科博士課程修了後、オランダに留学。植物環境学の世界的な研究成果を挙げつづける。二〇〇二年、紫綬褒章受賞。同年、中国国家外国専家局友諠賞受賞。〇五年から〇八年まで千葉大学学長。
〇九年、米国・培養生物学会生涯功績賞受賞。おもな著書に、『「幸せの種」はきっと見つかる』などがある。
M・エンデの『モモ』の世界観に共鳴し、その考えを日本に初めて広めたドイツ文学者。
子安 美知子(早稲田大学名誉教授)

実母の死、戦中戦後の食糧難、女性蔑視の日本社会……。
数々の障壁にぶつかりながら、
がむしゃらに駆け抜けた青春時代と、
文学の世界に見た「ありのままの人間の姿」―――。
いつの時代も、ほんとうに大切なことは変わらない。

子安 美知子さん写真
略歴
[こやす・みちこ]
一九三三年、ソウル生まれ。東京大学教養学科ドイツ科卒業。同大学院比較文学比較文化課程修了。七〇年代にドイツ留学中、シュタイナー学校と出合う。その経験を描いた『ミュンヘンの小学生』が話題となり、七六年、毎日出版文化賞を受賞。『「モモ」を読む』『私とシュタイナー教育』など著書多数。
国際社会のなかで、日本のあり方を問いつづけるジャーナリスト。
櫻井 よしこ(ジャーナリスト/JINF理事長)

何の興味もなく飛び込んだジャーナリズムの世界。
無我夢中で学びつづけた二十代。
一文無しになるほどの覚悟を決め、
ジャーナリズムに生きると決めた二十代最後。
夢は必ずかなう―――信念をもった人は強かった。

櫻井 よしこさん写真
略歴
[さくらい・よしこ]
ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒業。クリスチャン・サイエンス・モニター紙東京支局員を経て、一九八〇年から十六年間、日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターを務めた。現在、国家基本問題研究所(JINF)理事長として政策提言を発信している。九五年、『エイズ犯罪血友病患者の悲劇』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『明治人の姿』など著書多数。
日本の旅行業界の変革を夢見て二十九歳で起業。海外旅行でナンバーワンを狙う。
澤田 秀雄(HIS会長)

「何か新しい発見があるんじゃないか」―――。
好奇心の赴くままに世界中を旅した二十代。
死にかけては生き伸びた、旅先での経験値。
孫正義さん、南部靖之さんと「ベンチャー三銃士」として注目された澤田さんのサバイバル術の原点に学ぶ。

澤田 秀雄さん写真
略歴
[さわだ・ひでお]
一九五一年、大阪府生まれ。高校卒業後、旧西独・マインツ大学に留学。休みを利用して五〇カ国以上を旅行。帰国後、HISを設立。九五年、上場。九八年には国内四番目の航空会社スカイマークを就航させる。その後、エイチ・エス証券社長、ハーン銀行会長に就任。経営者として三取引所への上場を果たす。おもな著書に、『HIS机二つ、電話一本からの冒険』などがある。
日本の旅行業界の変革を夢見て二十九歳で起業。海外旅行でナンバーワンを狙う。
島田 精一(住宅金融支援機構理事長)

三井物産副社長、日本ユニシス社長を経て、請われて現職へ。
その華々しい経歴を生み出したのは、
「自分は弱い人間なんだ」と認め、
逃げ出したくなる自分、ごまかしたくなる自分を勇気づけ、
律する言葉をいつももっていたからだ―――

島田 精一さん写真
略歴
[しまだ・せいいち]
一九三七年生まれ。東京大学法学部卒業後、三井物産に入社。
取締役情報産業本部長時代、毎年数十億円の赤字を出していたその部署を、持ち前の明るさで軌道に乗せる。その間、出社拒否症になるほど苦しむ。副社長CIOを経て日本ユニシス社長に就任。四年間で、企業カルチャーを「受け身」から「積極提案型」に変えた。おもな著書に、『仕事に必要な言葉』などがある。
ホスピタリティの伝道師として「サービスを超える瞬間」の感動を説く
高野 登(ザ・リッツ・カールトンホテル前日本支社長)

世界が賞賛する究極のおもてなし―――。
一流ホテルマンへの道は、一枚のはがきから始まった。
サービスが行き届かず、悔しくて眠れない夜を幾度も過ごした二十代。
どこまでいっても、ホテルマンに終わりはない。
一流と呼ばれるゆえんは、徹底的に追及しつづける姿にあった

高野 登さん写真
略歴
[たかの・のぼる]
一九五三年、長野県生まれ。プリンスホテルスクール(現・日本ホテルスクール)第一期卒業。七四年渡米。アメリカで数々のホテル勤務を経て、九〇年、ザ・リッツ・カールトン・サンフランシスコの開業に携わる。九四年、日本支社長として帰国し、ザ・リッツ・カールトンの大阪と東京の開業に携わる。おもな著書に、『リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間』がある。
日本映画界に新航路を開拓した堤式撮影方法。その誕生の経緯に秘められた意外な人生哲学。
堤 幸彦(映画監督/演出家)

『池袋ウエストゲートパーク』
『トリック』
『20世紀少年』……。
現在、もっとも人気のある映画監督の二十代は、
偏見、差別、反発、絶望、光が渦巻いていた。
一筋縄ではいかない人生に、
それでもたった一つ、信じられるものがあった―――。

堤 幸彦さん写真
略歴
[つつみ・ゆきひこ] 一九五五年、愛知県生まれ。法政大学社会学部中退。東放学園卒業後、プロモーションビデオやCMの演出を手がけ、八八年、オムニバス作品『バカヤロー!私、怒ってます』の第四話『英語がなんだ』で劇場映画デビュー。その後、『ケイゾク』『金田一少年の事件簿』などのテレビドラマでヒットを連発。おもな著書に、『堤っ』などがある
創業から一貫し、日本の新しい雇用形態を生み出しつづける起業家。
南部 靖之(パソナグループ代表)

落ちこぼれだった小学時代。
就職活動で連戦連敗だった大学時代。
しかし彼には夢があった、
誰もが自由に働ける雇用環境を―――。
創業から思いは変わらず、雇用問題に真正面から立ち向かう。

南部 靖之さん写真
略歴
[なんぶ・やすゆき]
一九五二年、神戸市生まれ。関西大学工学部卒業。在学中に人材派遣会社テンポラリーセンターを設立。九三年、CEOに就任し、商号とグループ名をパソナに変更。阪神淡路大震災の復興事業にも貢献。人材サービスのみならず新規就農支援や若者の就労支援など、さまざまな雇用問題に精力的に取り組んでいる。おもな著書に、『人財開国』などがある。
創業から一貫し、日本の新しい雇用形態を生み出しつづける起業家。
南部 靖之(パソナグループ代表)

自分のポジショニングとブランディング―――。
競争相手をつくらない―――。
生き方と働き方を一致させる―――。
これまでになかった発想でビジネスを展開するこの二人は、
なぜいつも自分軸がブレないのか?

南部 靖之さん写真
略歴
[はまぐち・たかのり]
一九六八年、大阪府生まれ。横浜国立大学教育学部卒業。ニューヨーク州立大学で経営学を学ぶ。会計事務所、経営コンサルティング会社を経て、九七年、日本の開業率を一〇パーセントに引き上げることをミッションに起業を総合支援するビジネスバンク社を設立。著書に、『戦わない経営』のほか、村尾隆介氏との共著で『MyCredo』『だれかに話したくなる小さな会社』などがある。

[むらお・りゅうすけ]
一九七三年、東京都生まれ。十四歳で単身渡米し、ネバダ州立大学を卒業。九八年、本田技研に入社。汎用事業本部で中近東・北アフリカのマーケティング、営業業務にかかわる。二〇〇一年、同社退社後、ハワイから加工食品を日本へ輸出・卸販売するビジネスで起業。事業売却後、小さな会社のブランド戦略を手がけている。
マックからマックへ―まったくの異業種でV字回復を成し遂げた話題の社長。
原田 泳幸(日本マクドナルド会長兼社長兼CEO)

アップルコンピュータ日本法人社長として日本市場拡大に大貢献。
日本マクドナルドCEOとして短期間でV字回復達成。
原田さんはなぜ、
まったくの異業種で大活躍ができたのか―――。
「大切なのはお金や地位じゃない、人間らしく生きること」。

原田 泳幸さん写真
略歴
[はらだ・えいこう]
一九四八年、長崎県生まれ。東海大学工学部卒業後、日本NCRに入社。ヒューレット・パッカード、シュルンベルジェを経て、九〇年、アップルコンピュータに入社。九七年、同社日本法人社長に就任。苦境といわれた時期に経営トップとして手腕を発揮。二〇〇四年、日本マクドナルドCEOに就任。おもな著書に、『日本マクドナルド社長が送り続けた101の言葉』がある。
一ソリューションで顧客10億人。着メロを生んだ敏腕プロデューサー。
平澤 創(フェイス社長)

「着メロ」という新たな文化を創出した張本人。
時代のニーズをいち早く体現するその手腕に、
ビジネス界から熱い視線が集中する。
「自分が自分として生きる」
そのエネルギーは世界を巻き込んだ!

平澤 創さん写真
略歴
[ひらさわ・はじめ]
一九六七年、京都府生まれ。学生時代、大阪芸術大学芸術学部音楽学科で学びながら、B’zなどのプロデュースを手がけたビーイングにて、音楽制作に携わる。九〇年、任天堂入社。九二年、フェイスを創業し、わずか十年足らずで東証一部上場を果たす。二〇〇四年、史上最年少の三十七歳で藍綬褒章を受章。
アメリカで一杯のコーヒーと出会った銀行員が、その味を日本に伝えた。
松田 公太(タリーズコーヒーインターナショナルファウンダ―)

食で世界を変える!
学生時代に思い描いた夢を、
ここまで強く思いつづけた人がいただろうか。
弱いからこそ強気で進む―――。
いまもシンガポールで食ビジネスに挑戦中

松田 公太さん写真
略歴
[まつだ・こうた]
一九六八年、宮城県生まれ。青年期までをアフリカとアメリカで過ごす。筑波大学卒業後、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行(九六年退行)。九五年、スペシャルティーコーヒーに出合い、九七年、日本にタリーズコーヒー一号店をオープン。九八年、タリーズコーヒージャパンを設立。二〇〇一年、飲食業界最速(当時)で株式を上場。おもな著書に、『仕事は5年でやめなさい。』などがある。
ホスピタリティの伝道師として「サービスを超える瞬間」の感動を説く
古川 美代子(TBSアナウンサー)

ラジオから流れる声にあこがれて、
小学生のころから一度も忘れることのなかったアナウンサーの夢。
夢を実現させた吉川さんは、とどまるところを知らなかった。
激しい競争のさなか、実力派として活躍しつづけたわけは?
その下積み時代の過ごし方とは―――。

古川 美代子さん写真
略歴
[よしかわ・みよこ]
一九五四年、神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。七七年、TBSに入社。八四年より十九年以上にわたって「JNNニュースの森」など同局の看板報道番組のメインキャスターを務める。TBS解説委員、TBSアナウンススクール校長。ラッコの専門家としてアラスカのサイエンスセンター研究員でもある。おもな著者に、『ラッコのいる海』などがある。
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